渡辺 努 ワーキングペーパー一覧に戻る

  • 賃金・物価・金利の正常化: 2040年までの展望

    Abstract


    2022年春以降、賃金・物価・金利の正常化が進行している。本稿では、22年春から25年初までの3年間を正常化の第1ステージ、その先2040年までを第2ステージと位置づけたうえで、第2ステージで何が起きるのかを考察する。賃金・物価・金利の3つはいずれもノミナルの変数である。ノミナルの変数が異常な状況に陥ったのが慢性デフレであり、その修復が正常化の第1ステージである。これに対して第2ステージでは、ノミナルではなくリアルの変数の正常化が次の3点で進む。第1は価格メカニズムの正常化である。慢性デフレ期には、効率的な資源配分の実現に不可欠な仕組みである価格メカニズムが機能不全に陥った。賃金・物価の正常化に伴い今後その修復が進むと期待される。第2は実質為替レートの正常化である。慢性デフレが始まった90年代半ばに、実質為替レートはそれまでの円高トレンドから円安トレンドへと反転した。その原因のひとつは賃金マークダウンだ。今後、賃金の正常化が進む中で賃金マークダウンが解消され、実質為替レートへの円安圧力も軽減される。第3は政府債務の正常化だ。デフレ下では一般に債務者の負担は過大となる。実際、最大の債務者である政府の負担は過大だった。賃金・物価の正常化の過程では、その真逆のこと、つまり、債務負担の軽減が起こる。本稿の試算によれば、インフレ率ゼロ%の経済から2%の経済へと移行することで政府債務は180兆円の減額となる。

     

    Introduction


    慢性デフレは物価と賃金が毎年据え置かれる現象であり、1990年代半ばに始まり、30年余り続いた。その重要な特徴は、個々の商品の価格の平均値である物価が据え置かれただ けでなく、個々の商品の価格自体も据え置かれたことだ。賃金についても、マクロの平均値が据え置かれただけでなく、企業単位、労働者単位でみたミクロの賃金も据え置かれた。 物価と賃金がこのように据え置かれる中で、日銀は1990年代末に政策金利をゼロまで引き下げ、それ以降、ゼロ近傍の金利が長く続いた。

     

    WP053

     

  • 日本の自発的ロックダウンに関する考察

    概 要

    新型コロナウイルスの感染拡大に対して,日本政府は緊急事態宣言を含む施策を 行った。本稿では,日本政府の施策がどのようなメカニズムで国民の行動変容を引き 起こしたかを検討した。スマホの位置情報データを用いて,人々のステイホームの度 合いを示す指標(外出者数 × 外出時間がコロナ前に比べてどれだけ減少しているか) を,県別に日次で作成し,その上で,各施策の開始と終了のタイミングが各県で異な ることを利用して,各施策が行動変容を引き起こすチャネルとして,(1) 国民が政府か らの要請に従い外出を抑制する効果,(2) 国民が政府の施策のアナウンスメント等を もとに感染状況に関する認識を更新し自発的に外出を抑制する効果,の 2 つを識別し た。本稿の主要な結果は以下のとおりである。第 1 に,感染拡大に伴い国民の外出は コロナ前に比べて約 32%減少したが,そのうち政府からの要請に伴う行動変容で説明 されるのは 12%ポイントだった。第 2 に,各県における新規感染者数が 1%増加する と,その県の人々の外出は 0.022%ポイント減少した。第 3 に,東京都の外出抑制のう ち政府の要請が寄与したのは約 4 分の 1 であり,残りの約 4 分の 3 は政府のアナウン スや日々発表される感染者数など,感染に関する新たな情報を受け取った都民が,感 染のリスクをアップデートしたことによって生じた。本稿の分析結果は,感染封じ込 めに必要なのは法的拘束力の強い措置ではなく,人々の行動変容を促す適切な情報の 提供であることを示唆している。
     

    1 はじめに 

    コロナの感染拡大を受けて日本政府は 2 月 27 日に県などの地方自治体に対して学校の 閉鎖要請を発出した。続いて日本政府は 4 月 7 日には東京都を含む 7 県を対象地域として 緊急事態宣言を発出し,4 月 16 日には対象地域を 47 都道府県全部に拡大した。安倍首相 は「外出を控えることによって,人との接触を最低でも 7 割,極力 8 割減らして欲しい」 と国民に呼びかけた。こうした政府の要請に反応して人々は外出を抑制した。例えば東京 に住む人々が外出する割合は,3 月にはコロナ感染が拡大する前の 1 月との比較で −18% であったが,緊急事態宣言の発動中の 4 月 26 日には −64% まで低下した。こうした人々 の外出抑制の結果,1 日当たりの新規感染者数はピーク時の 209 人から 5 月 23 日には 2 人 にまで低下し,5 月 25 日には緊急事態宣言が解除された。

     

     

    WP026

PAGE TOP